
先日、新聞のコラムを読んでいて、ふと心に残った一文がありました。
「疑いを抱くことの自由は、権威に対する科学の闘いから生まれたものだ」
とても静かな表現ですが、読めば読むほど、重みと大切さを感じる言葉だと思いました。
科学の歴史を振り返ると、「これが正しい」「昔からそう決まっている」という権威に対して、「本当にそうなのだろうか?」と疑問を持つところから進歩が生まれてきました。疑うことは、否定することではなく、より良い答えを探すための第一歩。だからこそ「疑う自由」は、私たちの社会を前に進めてきた原動力なのだと感じます。
この考え方は、科学だけでなく、自由そのものにも通じているように思います。権威に従うことが“正解”とされる場面は、今でも少なくありません。でも、理不尽さや違和感を覚えたときに、「それでも仕方ない」と受け入れるのか、「おかしいものはおかしい」と声をあげるのか。その選択は、案外その人の価値観をよく表している気がします。
個人的な感覚ですが、人は大きく二つのタイプに分かれるように思います。理不尽な壁にぶつかったとき、壁の側に立つ人と、壁に立ち向かう人。
どちらが正しい、という単純な話ではありません。ただ、自分はどちらでありたいのか、という問いは、人生のいろいろな場面で繰り返し現れてくるように感じます。
そんなことを考えているときに、ふと頭に浮かんだのが、**村上春樹**の有名な言葉です。
「高く堅い壁とその前で壊れる卵のどちらを取るかと言えば、わたしはいつも卵の側に立つ。」
“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”
強くて正しそうに見える壁よりも、弱く壊れやすい卵の側に立つ。その姿勢は、まさに権威に対して疑問を持ち、自由を守ろうとする姿そのものなのかもしれません。今回の一文をきっかけに、「ああ、あれは同じことを別の言葉で言っているんだな」と、はたと気が付きました。
前置きが長くなりましたが歯科医療の現場でも、これは無関係な話ではありません。「昔からこうだから」「前のやり方が正しいから」だけでなく、常に考え続ける姿勢が、より良い医療につながると信じています。疑うことは、壊すことではありません。疑うことは、守ること。大切なものを大切にし続けるために、これからも忘れずにいたい考え方の一つだなと、改めて感じた出来事でした。







